拳闘士か? 検討士か?
これはサラリーマンの永遠のテーマ。
最初の会社は「古き良き昭和の会社」だったので、自分も含めて「96%が検討士」。
「新規事業部署」では、検討に検討を重ねたあとに、次に来るのは「また検討」。
私は10年弱、その仕事をしましたが、1件も新規事業は実現せず。厳密にいうと、私が担当を外れた後に実現した新規技術が1件。よって、自分の関与という意味では「10年に0.5件」のペース。
翻って、今の会社では、1年で3件実現。
では「なんでも新規スタートすればいいのか」といわれると、もちろん「金儲けができたか?」が大事なので「最後までわかりません」が回答。
他方、担当者としてはmotivationが全く違います。
「この会社は多少荒っぽくても、新しい事業をやらせてくれる」と感じるのか、もしくは「2年検討したので、あと8年検討するのか」と感じながら仕事をするのは、まったく違う毎日。
泥と血にまみれた「拳闘士」でありたいです。
MBA受験は「なんでもあり」
もう15年以上も前の話ですが、私のMBA出願時のエピソードです。
ひとことでいうと「情熱でDream校に合格」。
まず、MBA出願は以下のpackageがあります。
(GMAT) 算数と英語の標準試験。上位校は高得点であればあるほど合格可能性あり。(TOEFL) 外国人に必要な英語試験。
(Essay) なぜMBA? なぜ登校?あなたは当校にどうやって貢献?等々
(面談) この学校はoption
私はGMATが振るわず、「上位校の合格者平均の下限」でした。
私も含めて日本人は「試験点数へのこだわり」が強いのでこれは応えました。
そこで、上記Package出願後、猛アピールを決行。
具体的には:
- 現地面談をすぐに申し込み、アメリカに飛ぶ。
- 在校生に積極アピール。「どうやったら合格率が高まるか」を相談。
- 学校に「在校生と会った感想。Fit感は最高」というエッセイ(作文)を提出。
- 学校に「学校で読んだ機関紙が最高だった。具体的には~」という作文を提出。
- 大学のゼミ教授の推薦書を追加で提出。
- 同じ会社の卒業生(初めて会った!)からむりやり推薦書をもらい、追加で提出。
- 「最近仕事でこんな業績を残した!」という追加の作文を提出。
上記3から7は「出願手続では要求されていない自発的な追加書類」。
かつ学校によっては「追加書類は一切受け付けない」方針もあり。
私は「追加書類をだしていいか?を確認すべきかな」と一瞬(2分ほど)悩みましたが、最後は「後悔の無い方法を攻めるぞ。Nothing to lose!」と吹っ切れました。
これに加えて、2で現地で食事をご一緒させてもらった在校生が、入試審査部門に「あいつ、本気でこの学校志望だよ。fit感あるよ」とメールで推薦してもらいました!
日本の受験ではありえない「珍プレー」連続ですが、これが人間っぽくで好きでした。
これで「合格者の中でもきわめて低いGMAT」で感動の合格!
MBA受験でも「IQよりも愛嬌で勝負」の私でした。
採用では、IQ(あいきゅう)よりも愛嬌(あいきょう)が重要!
というのが新卒採用でもキャリア採用でも私の原則。
ただし、「IQゼロでもいいですね」という極端な話でなく、「一定の学齢と職歴」がある前提。
つまり、「同じような学歴と同じような職歴」であれば、「愛嬌」があるほうが勝ち。
「可愛げ」と言い換えてもいいです。
会社で働く限りは「個人プレー」は困るので、「周りとうまくやる」上で「可愛げ」があることがとても重要。
では、この「可愛げ」はどうやって判断するか?
これがまだ感覚的で難しいのですが、経験則的には以下。
- 「自分が、自分が」とい性格でないこと。面談は「自己PR」の場なので、トピックはすべて「自分」なのですが、「自分中心のメンタリティーでない」こと。
- こちらの質問にResponsiveであること。つまり「質問に答える」こと。質問に答えずに「自分が話したいことだけを話す」というのは可愛げがない。
- 失敗談を正直に暴露でき、そこからの「学び」も明確にできる。
うーん、Easier said than doneですね!
採用ネタ "B players hire C players"
前職2社で新卒採用とキャリア採用をしてましたが、情熱を込めてました、
なぜならば、採用こそが「会社で最も重要な仕事」だから。
「いや、営業、技術、製品のほうだ大事だ」という反論があるかもしれません。
が、それらはタレントいれば実現できますし、逆にタレントが皆無であれば、それらのどれも実現できず。
そして、さらに重要なのが「A player (一級の社員)」を採用すれば、その彼・彼女がさらに「A players」を採用すること。
残念ながら、逆もまた真。
私が好きなVenture CapitalistのGuy Kawasakiも言ってます。
"B players hire C players. And C players hire D players"
これは感覚的にわかると思います。
自分が頑張らないヒトは、自分より頑張るヒトに来てもらっては困るのです。
他方、優秀なヒトは「自分より優秀なヒト」がチームに加わることを恐れません。
ということで、採用の成果は「自分より優秀な人間を採用できたか」。
昇給は「上位の仕事ができたから」or「上位の仕事ができると期待するから」?
私は人事専門でないのでdon’t quote me on thisですが、「前者」なのでしょう。
「期待」だけでお金がもらえるほど世の中は甘くないので「いまの職位であなたは十分に上位の役職の“役割”が務まってます」という会社の論理。
ですが、こうなると「ギリギリまで頑張りながら昇給を目指している人間」に対して、「昇給するから、さらに上位の役職(役割)が務まるように頑張れよ」というと、息切れするリスクがありますね。
なので、上司と部下で「Expectation(期待値)」をすり合わせしておくことでしょう。
- 今の給与で「上位の役割」が務まって初めて昇給
- 昇給後もその「挑戦」は続く。「昇給したからあとは楽ちん」ではない。
- 「これ以上の昇給は不要」は個人の自由だが、上記1)の昇給(現状)を維持するにもそれなりの成果が必要。→この点を、日本の古き良き企業が「明確にする」のが難しいのでしょう。
「便利屋」のキャリアはダメか?
私は最初の会社では、複数部署を兼務しており、本務の上司からは「お前、まだ便利屋としていいように使われているのか?」と小言を言われてました。
具体的には、複数部門で、新規事業の事業計画をつくったり、excelでvaluationをしたり、契約交渉の窓口をしたり。
30過ぎの「比較定若い」ときは、「これでいいのかな。会社の中で自分の居場所がなくならないか」と不安にも思いました。
ですが、おっさんになった今、「これはこれでよいのだ」と思います。
1) いろいろな世界が見られて、いろいろなヒトとの出会いがある。
2) サラリーマンは「使ってもらってナンボ」。仕事が回ってこない、もしくは「指名されないサラリーマン」はうれしいか?
格好よくいうと「Generalismを極めたspecialistになればよい」ということか:)
「それは私の仕事ではありません」の一言。
これが自分はいえないんです。
よく言えば「なんにでもownership(当事者意識)がある」ですが、悪く言うと「仕事を抱え込んでしまうダメな奴」とも解釈できます。両方とも当たってます😊
私のような事務系の仕事だと「すべてがビジネスに関連する仕事」なので、「すべてが自分の仕事だろ」という意識を大事にしてます。
一橋大学ICSの楠木教授も「ビジネスをやるということは、すべてのことを担当することだ。境界線なんてないぜ!」的なことを書かれおり、少し慰められました。
自分が事業を始めたら、社長だからといって「それは自分の仕事ではありません」では済まないだろう。サラリーマンであっても「これは自分の事業だ」という意識が必要。私はそうやって自分に言い聞かせてます。
でも、「それは私の仕事ではありません」と慇懃無礼に言い切れるヒトがうらやましいです・・・やっぱ、そうでもないかな😊